「神の御心−永遠の命」 02−09−22 ヨハネ6:34〜40
すでに永眠された方々と私たちに共通しているのは、神さまの
御心の内に置かれているということです。永眠された方々も私たちも、
主なる神さまの御意志によって命の息を吹き入れられて、生きるように
なった者です(創世記2:7)。
そして、神さまの御意思によって導かれて生きる者であり、その死に
おいても神さまの御心が向けられている者です。
<主は与え、主は奪う>とヨブは語りました(ヨブ記1:21)。
愛する10人の子供たちを一度に失ったヨブは、この悲しみが神と
無縁の出来事ではないことを見抜き、それによってようやく慰められ、
支えられました。子供たちの死という大きな悲しみが、神さまと無縁の
ところで起こっていると信じたとしたら、ヨブはもはや立っている事は
できなかったでしょう。そこには、慰めも希望もなく、嘆きしか生まれ
ません。「主は奪う」とは、恨みの言葉ではないのです。
主がその死にも深く関わっておられる。その主に信頼する中で、
語れた言葉であり、それがヨブの最大の慰めでした。
永眠された方々の死に対しても、私たちの思いを超えた深い
神さまの御心が向けられていたのであり、神抜きの死ではありませんで
した。このことを知って、永眠された方を思い起こすことができるのは、
とても大きな幸いです。
自然のなりゆきだとか、冷たい運命に支配されて死を迎えられたので
は決してないのです。そして、死の際にも御心を向けてくださっていた
神さまに、永眠された方々をお委ねしているのです。
神さまの御心が向けられているのは、地上の死までのことでは
ありません。それは、主イエスによって復活させていただき、永遠の
命を得るところまで続きます。神さまの御心の向けられた死を迎えた
者であれば、その神の御意志が永遠の命に向かっていることを疑う
必要はありません。主イエスは、それを成し遂げてくださいます。
永遠の命は、私たちの意思でなく、神さまの御意志です。
そこに、揺るがない確かさがあります。